サイトアイコン Rの考え方

29歳は何のために生きるのか

私は恵まれて育ってきた。
間違いなく恵まれた両親から、祖父母から、環境から守られて生きてきた。

お金の心配もなく、食べ物の心配もなく、そんなに贅沢な暮らしではなかったけど、安心して生きてこれた。

確かにそれだけで幸せだった。
お金や食べ物に興味がなかったのも、その生活が生み出したものだろう。

ただ、時間は過ぎて行く。
守ってくれた彼らは、ひとり、またひとりと居なくなっていく。

なぜ、私はこんなことをしているのだろうか?

今の私は他人から見れば、確かにエリートかもしれない。
そう、外資系企業に勤め、医薬品開発に携わっている研究員だ。

だが、本当に私はこんな生き方を望んだだろうか?
その疑念が、守ってくれた彼らひとりを看取ったことで、炎上した。

私には生きる目的があった。

果たして、このまま人の言う通りに生きることで、それは達成できるのだろうか?
いや、できない。間違いなく。

箱に閉じ込められているのだろうか?
それとも、箱があると勘違いしているのだろうか?

私はいつの間にか、あれだけ嫌だった”決められた”レールに載っていた。

「何もせずに生きているくらいなら死んだほうがマシ」

私自身から見ても極端な思考だと思う。
ただ、自身の人生を見る限り、それは脈々と続いている。
それが尽きることはないだろう。

しかし、それに勝つほどの気持ちがある。

「怖い」だ。

誰かを喪うこと、何かを失うこと、壊すこと。
そして、時間を失うことにも。

なぜなら、いつも死が目の前に実感として居るからだ。

常に、頭の中に居る厄介な、それでいて行動の手助けをしてくれる変な奴だ。

いつでも、なんにでも手を抜かないのは、彼に見張られているからだ。
手を抜けない、というべきか。

彼は怖い。

現代は彼らを覆い隠そうとしている。
見えないように、気付かないように、そっと。

彼はいつでもそばにいるのに。

そして、少しずつ近づいたり、遠ざかったりしている。
ただ、いつの間にかそばにいる。

あなたの生きる目的は何だろうか?
今のままで、その目的にたどり着けるだろうか?

いつものように、いつもの場所で。
私にはそれがとても怖い。

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